2009/06/30

今年の天神祭は、北新地にも神輿が練り歩きます☆

いよいよ今年も天神祭の季節が近づいてきました。

今年は、北新地にも神輿が出張するらしいです。
不景気でイマイチぱっとしない新地の氏子さんたちの声に応えて、本番前に、新地を練り歩くんだとか。

今、天神さんの神輿、ギャル神輿も含めてですが、天神さんだけの専売特許にせずに、梅田方面にも引っぱってこれないものかと、地元の人たちが画策してはります。いろいろとクリアしなければならない問題もあって、簡単にいく話ではないようですが、そのうち、茶屋町のNUやロフト周辺を天神さんの神輿が練り歩くなんて図も、近い将来にはお目にかかれるかもしれません。


お初天神もおなじ天満宮だし、そういう連携があってもいいですよね。


以下、6/21の朝日新聞から、北新地に今年は天神さんの神輿が出張することが決まった記事の抜粋です。

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天神祭のにぎわいが約40年ぶりに北新地に戻ってくる――。祭り当日に3千人を超す氏子らが練り歩く、みこし行列「陸渡御(りくとぎょ)」。大阪万博(1970年)のころから北新地の手前で折り返すようになったが、不景気で客足が戻らない新地の氏子たちの声に応え、本番前にミニサイズのみこしで寂しいネオン街に祭りの息吹を吹き込む。

陸渡御は、7月25日の本宮に大阪天満宮を出発するみこし行列。「チェーサジャー」との掛け声ととともに先頭を行く催太鼓(もよおしだいこ)の勇壮な音が鳴り響く。続いて「ヨイヨイヨイ」と、みこしや獅子舞、山車などが練り歩き、天神橋で「船渡御(ふなとぎょ)」に移る。

今は、西に進んだみこしが、大阪を南北に貫く御堂筋に突き当たると南へ折れるコースだが、かつては御堂筋を渡り、その西に広がる北新地まで練り歩いていた。 

太鼓を打ち鳴らしながら、行列が置屋やお茶屋の軒下を通ると、芸者が2階からおひねりをポーンと投げ、1階ではお年寄りが一升瓶を差し出した。当時を知る島田学さん(83)は、今もそんな光景を記憶している。

「新地に差し掛かるとちょっと違った気分がしてね。そりゃ風情があった」

同天満宮によると、大阪万博を前に市内の道路の整備が進み、交通量が増えたため、警察の指導でコースが変更されたという。

北新地には、もともと同天満宮の氏子が多く、行列に参加する30にのぼる「講」のメンバーもいる。祭りへの協賛金や「講」への祝儀は出し続けているが、「自分たちの祭りなのに、みこしも来ないのは寂しい」という不満もあった。ここ数年は、不景気で客足が鈍り「景気付けに」と陸渡御の復活を求める声が特に高まっていた。 

「新地に恩返ししたい」と応えたのが、陸渡御で獅子舞を担当する森本幸一さん(60)と、みこし担当の小林俊行さん(62)。北新地で店を構える若手の氏子にも話を持ちかけ、今年初めから天満宮と話し合いを重ねた結果、2人が参加する二つの講から150人が繰り出し、今年、北新地での復活が決まった。

祭り本番に先がけ、7月23日午後8時から9時半ごろ、北新地周辺の住民も加わり約180人が練り歩く予定だ。本番で使うみこしは2.1トンと移動が難しいため、軽い子供みこしを出すという。

北新地で精肉店を営む霞流(かすばた)喜久英さん(58)は「幼い頃馬に乗った行列が町に来たことをかすかに覚えている。ぜひ、あのころのにぎわいを取り戻すため、地域を盛り上げてほしい」と心躍らせている。


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記事によると、ほんの40年ほどまえまでは、北新地にまで神輿が出ていたんですね。知りませんでした。

講ってのは、天神祭を支える地元の小さな小さな団体で、サッカーでいうところのサポーターズクラブみたいなもんです。この、講がなければ、天神祭もなにもないです。講自体は天満宮の地元だけじゃなくて大阪市全域にあって、たとえば、住之江辺りにある材木屋さんの講だと、住之江まで神輿は来ないけれども、天神祭には住之江から参加して、どんどこ船を出したりしてます。北新地の講も、そんなかんじ。

でも、北新地はやっぱ色町だし、色町と祭は相性がいいので、交通整理は大変だろうけれども、そこまで神輿が出張してくるのは、素敵ですね。



今年の天神祭は、例年とは違った風景が見れそうで、楽しみ☆

2009/06/29

来る衆院選挙では幸福実現党に注目してみる

衆院選挙、いつあるんでしょうかね?

補正予算も何度も成立させたし、麻生さんも、ぼちぼちやることがなくなってきたはずなんで、いいかげん解散してもいいはずですが、やっぱ、都議選が終わってからでないと公明党が動けないし、民主党の小沢さんの秘書の違法献金問題が盛り上がって世論が自民党に流れるタイミングを待ってるんでしょうかね? 今どきの世論は2~3週間単位で激変するから、解散のタイミングを見極めるのって、すんごく難しいと思いますわ。宮崎県知事や大阪府知事の動向も気になるところです。公明党絡みで都議選のこともあるし、とにかく政局が流動的すぎますな。

まあ、そういう理由、つまり政局で解散時期を決めること自体、本筋から外れてますが(笑)

さて、次期衆院選に向けて、宗教法人の幸福の科学が、政党を立ち上げましたな。
幸福実現党って…、実も蓋もない名前が、かえってすごすぎます(笑)
むかし、税金党とか年金党とか、それこそ実も蓋もない名前の政党があったけれども、これが最強?

でも、全選挙区に立候補者を立てるって、がんばってます。
きっと、立てるんでしょうな。

元ブルーハーツの河口純之助さん(ブルハは終末期、新興宗教の巣窟みたいになって解散になってしまいましたな)とか、金田一少年の事件簿の作者のさとうふみやさん(ところで、この人はペンネームは男性だけど、本当は女性ですよね、たしか)とか、有名どころも立候補するみたいです。

党首(というか、ソッコーで元党首になって、今は広報本部長ですか…)の饗庭直道って人が、ちょっと気になります。

あえばじきどう、と読みます。「あえば」って名字もすごければ、「じきどう」って名前もなんかすごいですね。

坪内逍遥や幸田露伴らとおなじ時期、明治の時代ですけど、饗庭篁村って小説家がいて、今はあんまり有名じゃなくなってるけど、僕の好きな小説家なんですよね。
その人と名字がおなじだし、珍しい名字だし、もしかして親戚かなにかか?と訝ってるんですが、まあ、そのあたりの詳しいことは知りません。でもちょっと気になります。



主要政策は、
1)消費税・相続税・贈与税の全廃による景気回復及び財政再建
2)隣国からの脅威に対する安全保障
3)日本の3億人国家樹立とGDP世界一
の3つらしいです。

消費税を全廃されると、消費税を納めてないけどお客からはとってる零細企業なんかは、真っ青ですね(笑)
安全保障は、北朝鮮のミサイル基地への先制攻撃を堂々と謳ってます。まあ、宗教は、自分とこの宗教を信じる人以外に対しては攻撃的になりますから、さもありなんの政策ですな。北朝鮮をヤクザの国だと、堂々と謳ってるところなんか、既存の政治家では言えないことを、ペロッと言ってくれてます。さすが、新興の野党☆ イケイケドンドンです。

新憲法草案までつくってるけど、それが、前文から、私たちは神の子、仏の子として…、なんていうクラクラするような素敵な文章が並んでいるシロモノです。そして、軍については、国防軍を持つ、と。


でもなあ、本が売れてるからなあ。あんまり表にでないですけど、たとえば梅田の紀伊国屋本店で売れている上位ベストテンのほとんどは、創価学会の本と幸福の科学の本で占められています。村上春樹がなんぼ売ったところで、じつは、上位ベストテンは、こうした宗教法人が発行している本が占めていて、それは裏を返せば、そんだけ信者が多いってことです。大川隆法さんなんて、出す本出す本全部、ベストセラーじゃないですかね。

その信者さんというか本の購買層はそのまんま集票マシンになりますから、何人かは当選者を出すんじゃないでしょうかね? かつてのオウムのときのような惨敗はないと思います。まあ、あんときの「真理党」も今回の「幸福実現党」も、ネーミングのセンスはたいして変わらんようには思うので、浮動票はそう簡単には取り込めない気もしますが。

さて問題は、きちんと政教分離できているのかどうか、ですね。
かたちのうえでは、教祖(?)の大川隆法さんは噛んでいないことになっているのですが、政策に、宗教教育の改革とか、詳しいことは書いていないけれども、サラッとドキッとすることが書いてありますからね。
大体、幸福の科学は、来年の4月、中学と高校をつくるって言ってますからね。

ちなみに幸福の科学は、神道からも仏教からもキリスト教からも天理教からも教義を引っぱってきて、果ては古今東西の偉人さんたちの名言集まで取り入れて、パッチワークみたいな教義をつくり出しているので、僕個人としては、なんだかなーって印象です。

サイトもありますが、ここにリンクを張って、幸福の科学や幸福実現党のサイトの検索成績をアップしてやる義理もないので、リンクは貼りません(笑) googleで検索したら、サクッと出てきますわ。YouTubeにチャンネルも持ってます。



で、その幸福実現党の宣伝カーが、早くも北区を走っておりました。



ミサイル阻止!とか、どこの国の選挙カーだ?ってかんじですが…。



そもそも、北区には、支部というか、幸福の科学は精舎って言ってますけど、南森町に大阪正心館ってのがありますからね。

これです。
建物のてっぺんで睨みを利かせているのは、ヘルメス神。




ヘルメス神を祀ってるだけあってギリシャ色いっぱいの建物になっていて、もはや何教かすらわからん状態になってます…。ヘルメスって、オリンポス12神の一人です。で、その神を祀ってある場所が、仏教用語でいうところの修行する道場の、精舎って…。

ちなみにこの建物は、総大理石☆
イタリアから輸入したシロモノらしいです。そりゃ宗教施設だから、カネかけて演出するのはいつの時代などんな場所でもおなじようなもんですけど、それにしても、どんだけカネかかってんだか。つか、どんだけカネ持ってんだか!




さて、大阪市の北区からは、どんな人が出るんでしょうかね?
南森町に精舎の高級版であるところの大阪正心館を持つお膝元ですから、メンツにかけても、すんごい人が出てきそうです。
大阪の場合、小選挙区全19区、比例と、すべて立候補予定者が出そろってます。結構な学歴の人が多いですけどね。ハーバード大卒とか。。。
まあ、まだ公認予定候補者なので名前は書きませんが、検索でリストを見ることはできるようになってます。


ほいで、早速、天4のスーパー玉出の店頭にはポスターが貼られていました。。







ところで話は変わりますが、宗教系のサイトって、おもろいですよ。
最近、一番衝撃を受けたのは、これ。

http://www.evangelcathedral.net/

オープニングのフラッシュが無駄にすごくて、ほとんど、スターウォーズのサイトかと(笑)







幸福実現党
幸福の科学 大阪正心館
大阪市北区西天満3-6-19

2009/06/27

豊崎界隈の激ウマ讃岐うどん 後編

豊崎界隈の激ウマ讃岐うどん、後編行きます☆


昨日書いた、豊崎のたけうちうどん店、このお店にはなんの不満もないどころか、ちょっとドラッギーなところがあって、朝、お腹がうどん!ってなことになると、その日、なんとしてでも行かざるをえないのですね。
ところが、だ。なんせ、このお店でうどんに確実にありつける時間は、ごくごくかぎられているので、時間の調整がつかずに、あえなく断念、なんてことも多々あるわけです。

ちなみに、昨日のたけうちうどん店のエントリーはこっち。



さて、そこで、そういうときに備えての代替え案をなんとか手持ちのカードに加えたいと思うのだけれども、そういう素敵なお店はそうそう巡り会えるものでもなく、かーなり悶々とした季節を送っていたのですね、僕は。

ちなみに、たけうちうどん店の並び、新御堂沿いに2ブロックほど南に下ったところに、やはり讃岐うどんの専門店があるのですが、ここは、一般的な意味でのレベルはそこそこ高いのは認めるものの、なーんかモノ足りないのですね。
きっと、すぐそばにたけうちうどん店があることで、かーなり損をしていると思うのです。
たけうちうどん店もそのお店も、宣伝ではタッグを組んでいて、豊崎麺's倶楽部なるユニットを組んで、いろいろと展開してるのだけれども、はっきりいって、格落ちだと思いますわ。美味いんだけれども、たけうちうどん店があまりに突き抜けてしまっているせいで、すべてにおいて劣っているように思えてならんのですよ。
なので、そのお店には、どーしても足が向きません。


で、どーにかならんかなーと思って、十数余年(嘘)
あっちのうどんが美味いと聞けば足を運び、こっちのうどんがいけてると耳にすれば飛んでいき、雨の日も風の日も、槍が飛んでこようが地響きが起こってようが、僕、探し続けたわけですよ。

で、苦節十数余年(嘘)やーっと見つけたのが、なんと、たけうちうどん店のすぐ近くにあったのでした。灯台もと暗し。

たけうちうどん店からほど近い隣町、鶴野町に、そのお店はあったのでした。

誰かのブログかなにかで見つけて、とにもかくにも行ってみたところ、オープンな雰囲気があって、うどん屋さんというよりはカフェのようなかんじのお店。

でも、店名が「きすけ」なので、それでまさかカフェってことはないでしょうが(笑)

麺はですな、たけうちうどん店ほどにはキレは感じられないけれども、ピカピカと光って宝石のようで、悪くありません。悪くないどころか、美味いです☆

なによりも、天ぷらの種類が豊富で、かつ、天ぷらが美味いですな!
天ぷらのタネにする素材がよくって、野菜なんて、むちゃくちゃ甘みがあります。天ぷら屋さんとしてもじゅうぶんにやっていけるだけのレベルの天ぷらを数あるなかからチョイスできるので、かなりのバリエーションが楽しめます。

たけうちうどん店を基準にして申し訳ないのだけれども、要するに、きすけには、たけうちうどん店にはないアドバンテージがある、ってことです。

なすびやカボチャやシシトウやフルーツ人参やサツマイモやオクラなんかの野菜天は、どれもこれもサクサクで、噛むとジワッと甘みが口のなかにひろがって、思わず、あーっ!って拳を突き上げたくなります。

変わり種では、揚げ餅もあります。これまた美味いんだな。

紀州梅をトッピングするもよし、人気の鯛ちくわをトッピングするもよし、生ワカメも美味いです。もちろん温玉も。

この豊富なバリエーションがかーなり気に入ってまして、今、僕のなかでは、たけうちうどん店と二枚看板を張るカードになってますな。

下の写真は、ぶっかけのセットメニューだったのを生醤油にしてもらって、丸オクラ+ナスビ+フルーツ人参の野菜天に紀州梅を追加して、麺を大盛りにしてもらったもの。
これで、ジャスト1,000円也☆


営業時間が23:00までってのも、いいです。もっともそんな時間に行っても、麺は売り切れてますが(笑)
お店が開くのが15:00という不思議な時間なのだけれども、これは、仕込みが関係しているのですかね。
なので、ランチにきすけ、というわけにはいかないのですが、僕、ランチの時間をずらすことも多いので、この時間にオープンでも、個人的にはなんの問題もないのですよ。

数少ないネガティブな感想は、ぶっかけのダシがね、甘辛いダシで、個人的にはまったく合いません。ここのぶっかけのダシは、僕は、全然ダメ。個人の好みの範疇で片付けられる問題だと思うのですが、僕はダメです。なのでいっつも生醤油です。たまに釜揚げ。

あとは、接客かなあ。厨房に入ってる店主お二人は好感持てるのですが、ホールのバイトさんがね、何人かに接客してもらったけれども、どーゆーわけか、どのバイトさんも共通して、あんまり人の話を聞いていないふうで、チグハグな対応をされることが多いです。

それくらいかな。


とにもかくにも、今現在、僕は、たけうちうどん店ときすけを、状況に応じて使い分け、今日はうどん!ってときでもまず食いっぱぐれることがないという、じつにじつに幸福な日々を送っとります~。










きすけ
大阪市北区鶴野町4-11 コープ野村梅田A棟1F
TEL. 06-6375-5656
営業時間 15:00-23:00
火休

※21:00くらいに行って、麺がなくなってたってことは、ないな。

2009/06/26

豊崎界隈の激ウマ讃岐うどん 前編

そもそものはじまりは、豊崎で、「たけうちうどん店」といううどん屋さんを知ったことに端を発するのでした。

讃岐うどんの店で、カウンターに10人強程度の小さな店なのですが、ここのうどんが、最強に美味い。きっと、大阪で一番美味いです。…や、よう知りませんが(笑)
麺がね、ツヤッツヤに光っていて、宝石みたいなうどんです。



僕、大阪駅前第3ビルの地下にある、雑誌とかで定番みたいにもてはやされてる例のお店は、まーったく認めてませんから。むかしは美味かったけれども、絶対に、味が落ちましたね。味が落ちたうえに、あそこの大将のエラそー能書きを聞かされるのかと思うと、ウンザリします。

で、どっかないもんかー、讃岐まで行くのも大仰だし…、と、思っていたところへ、3年くらい前かな、たけうちうどん店の存在を知ったのでした。

こんなお店です。うどん屋さんらしかぬ外観。



麺が早い時間になくなっちゃって、売り切れ御免で、かーなり早い時間に閉店になっちゃうのが玉に傷なのですが、確実にありつける時間というものもあるので、そこがわかってしまえば、食いっぱぐれることは、まずありません。

まずね、麺が激ウマです。
僕は、手打ちうどんの打ちかたとかこねかたとか、麺は生きてるとか呼吸してるとか、水分量とか塩加減とか、茹で時間がどうとか、そーゆー能書きは知りません。
でもね、食べたらわかります。もうね、ノドに麺を流し込んだ瞬間に、タハッ!って、満面の笑みを浮かべてしまうというか、自然と顔がほころんできます。
悲しみも孤独も、憎しみも苦々しさも、振り上げた拳も溢れた涙も、ぜーんぶ、吹っ飛んでしまうだけのポジティブな快感が、この麺からは得られます。

モノを食べて、感動を覚えたり快感を覚えたりすることがあります。あるのですが、それは本当に稀で、でも、このたけうちうどん店のうどんからは、稀にしかないはずの快感があるんですね。これは、他では得られないものです。

それだけでもありがたいのに、麺の量がね、半端ないのですよ。
僕は食いしん坊なので大盛りを注文しますが、大盛りなんて、3玉以上あるんじゃないかと言いたくなるくらいの量です。食べても食べても、減っていくかんじが一向にしません。並盛りでもいい加減多いですが、開店当初、あまりの量の多さにクレームがついて、並については、これでも量を減らした、とのこと。もっとも、大盛りはガッツリ食べたい人用なので、量はそのまま。つまり、食べても食べても減らない(笑)

さらにさらにですな、人気の鳥天ぶっかけは、なんとフリットした鶏の天ぷらが、というよりもかぎりなく唐揚げに近いハードな鶏の天ぷらが5個、どんぶりから飛び出さんばかりの勢いで、ゴロっと乗っかってます。はっきりいって、そこらへんで食べる鳥の唐揚げ定食とかコンビニで買う鳥の唐揚げ弁当に入ってるものよりも、量が多い(笑)






ときどきは、マイタケとゲソ天のぶっかけを注文するのですが、こっちも負けず劣らずの量です。





他にもメニューはあるんですが、鳥天ぶっかけがやっぱ激ウマなので、どーしてもそれを注文してしまい、なかなか他のうどんにありつけません(笑) 二人前とか、絶対に無理だし…。

カレーうどん、肉おろしぶっかけ、温玉わかめなど、他にそそるメニューがあるのですよ~。


食べたくなるときは、朝からどうしても食べたくなる気分で、昼ゴハンもしくは晩ゴハンまで、一日中、今日はたけうちのうどん!ってお腹にして、かつがつその日をうっちゃります。これ、どう考えてもジャンキーの症状じゃないですか(笑) そういう、ドラッギーな魔力が、ここのうどんにはあるのですよ。

そんなわけで、僕は今日も、たけうちうどん店に通うのでした。
値段、いくらだっけな? 鳥天ぶっかけの大盛りで、たしか800円ちょい。



問題は、不幸にして、麺が売り切れていたとき、このお店のうどんにありつけなかったとき…。
後編、明日に続きます☆






たけうちうどん店
大阪市北区豊崎5‐2‐19
tel. 06-6375-0324
営業時間 11:30-14:30 18:00-21:00
日祝休
※昼なら13:30、夜なら20:00くらいまでが、麺が残っているギリギリの時間です。それ以降は、たいてい売り切れ。

2009/06/25

ブリちゃんがハワイから帰ってきてます☆

ブリちゃん、ハワイから帰ってきたのですね。
つか、いつの間にハワイに行っていたのだ?(笑)


浮き輪やらレイやらを持ち帰って、すっかりハワイかぶれしてます☆




なにもこれから梅雨ってときに大阪に帰ってこなくてもいいんじゃないかと思うんですが、もうすぐ夏のセールがはじまるんで、帰ってきたんですね。
ブリちゃん、働き者です。
夏のセールは、6.26-7.12ですと。
詳しくは、ブリーゼブリーゼのサイトをどーぞ☆

http://breeze-breeze.jp/




ちなみにブリちゃんは、身長2メートルのマリオネットながら、素敵な出会いを求めて世界中をさすらってきたスナフキンのようなさすらい人です。

とある国のとある空気のきれいな森から生まれたらしいという、まことしやかな噂はあるのですが、出生の秘密は、誰も知りません。

ブリーゼブリーゼがオープンしたころ、西梅田周辺をウロウロしていた映像を見たことがあるのですが、それ以来、ブリーゼブリーゼのエントランスホールの外に出る姿を見たことは、一度もありません。

かように謎の多いブリちゃんなのですが、きっと、トトロのように、ミステリアスだけれどもチャーミングな、自然と人間の橋渡しをしている存在なのでしょうね。





久しぶりにブリーゼブリーゼに来たんで、最上階の展望ルームに行ってみました。
全面ガラス張りで、大阪の風景が一望出来ます。しかも、タダ☆

なにを隠そう、このブログのタイトルバックの写真も、ここから撮影した風景です。あ、仕事のついでに別件でカメラマンにお願いして撮影してもらったんですけどね。

ここ、冬の寒いときに来ると、サンルームみたいなもんですから、ポカポカしてて気持ちいいです☆

眼下の風景はこんなの。






大阪駅方面は、クレーンが何本も立っていて、壮観です~。







ブリーゼブリーゼ
大阪市北区梅田2丁目4-9

2009/06/24

長柄の鶴満寺の八角楼

京都と奈良の境の木津に、蟹満寺という、非常にそそる名前のお寺さんがあるのでした。

そこはかつて奈良時代以前に一瞬だけ都が置かれた場所でもありますから、その時代のお寺さんである可能性が高いのですよ。詳しいことはわかっていないのですが、周辺の発掘調査から飛鳥時代の創建と推測されていて、本堂に祀られている釈迦如来像はもちろん国宝で、白鳳時代の逸品です。
流行りの阿修羅像を持ち出すまでもなく、この時代の仏像は軽やかに仕上がっているものが多く、ここの釈迦如来像も、清々しくも軽やかな姿をしているらしいのですね。

らしい、というのは、じつはまだ見たことがないのですよ。
行こう!となった、昨秋、お寺さんの改修工事がはじまっていて、拝観できなくなっており、再度オープンするまで、しばし待たねばなりません。
白鳳時代の仏像や建造物がそのまんま残っている例は少ないので、これはいつか、必ず拝みたいもんです。

創建がはっきりしないのですが、それでも、今昔物語集に創建にまつわる「蟹満寺縁起」があります。

この縁起では、むかし、このあたりで観音経を信仰する善良な娘さんがいらっしゃってですな、あるとき、村人が蟹をたくさん捕らえて食べようとしていることに心を痛め、その蟹を買い求めて、草むらへ逃がしてやったのでした。

一方、これまたとある日、この娘さんのお父さんが畑を耕していると、カエルが蛇に飲み込まれてしまいそうになっていたのですね。で、このお父さんが、カエルを助けてやりたい一心で、蛇に向かって、なんと、もしカエルを放してやったら娘を嫁にやろう!と、言ってしまったのですよ。

言ってから大変なことを言ってしまったと悔やむお父さんなのですが、後悔先に立たずです。

数日後、立派な男性に化けた蛇が娘さんを嫁に迎えるべくやって来たのですが、とりあえずは、嫁入りの支度を理由にその日は帰ってもらい、その後もずるずるとなんやかんやと理由をつけては、会わずに逃げていたのでした。そしたら、だ。男は本来の蛇の姿に戻って、暴れ出すわけです。

娘さんは、ひたすら、観音経を唱え、観音さんに救いを求めていました。
すると、観音さんが現れてですな、あなたたちは慈悲深い行いをしただけなのだから、私が救って差し上げよう、と、告げたのでした。

するとですな、しばらくすると、暴れまくる蛇の音が消えたので、夜明けを待って戸を開けてみると、輪切りにされまくった蛇の肉片と、無数の蟹の死骸が、そこに残されていたのですね。

蟹が娘さんの身代わりとなってくれたのですね。
で、この親子は、観音さんに感謝し、蟹と蛇の霊を弔うためのお堂を建て、聖観音菩薩を祀ったのでした。

これが蟹満寺の縁起です。
このあたりは木津川が流れてますから、蟹はもちろん、川の蟹ですね。





さて、勢い余って、蟹満寺の話を書いてしまいましたが、今回、書きたかったのは、蟹満寺ではなく鶴満寺なのでした。。。。

鶴満寺。

国分寺から長柄にかけて、お寺さんが密集している地域でチャリを走らせていると、珍しいかたちをしたお堂があって、近づいてみると、鶴満寺、とあったのでした。


つるまんじ、じゃなくて、かくまんじ、ですね。

上方落語に桜の名所として鶴満寺が出てきますが、そーでしたか、こんなところにありましたか。今では、四方をマンションやらビルが取り囲んでいますが。。。

縁起を見てみると、

奈良時代に慈覺大師が創建したと伝えています。大阪のお寺さんは、どこも意外と古いんですよね。
創建当初は河内にあったけれども、西中島南方に移転再興し、再び荒廃。その後、詳細は不明なのですが、金持ちの豪商の発願で、寛延3年(1750年)、長柄のこの地に移転してます。江戸時代の中期ですね。
そんときは伽藍がたくさんあって広々としていたのですが、明治18年(1885年)のキタの大洪水を契機に衰退します。昭和に入ってから、当時の住職さんが財政再建に乗り出して、墓地やらなんやらを売っぱらって寺域を縮小し、リストラ敢行。余った土地で借家経営をはじめて、なんとか持ち直した、と。大阪大空襲のときも、被害を免れてます。

今、老人ホームやら保育園やらを経営して、お寺さんを維持しているらしいです。

近年、淀川リバーサイド計画と天満橋筋の延長道路拡幅のため、境内の主要部分が道路予定地に含まれてしまい、保育所用地を道路西側に残し、堂舎は建ったまま道路の東へ引越した、なんて話も残ってます。

釣り鐘がなかなかの逸品で、高麗時代初期の中国銅鐘の名品です。重文指定、受けてます。どういう経緯で日本に渡来してきたのか不明なのですが、毛利藩が土木工事をしているときに山口で発見され、鶴満寺に寄進されたんだそうです。

見どころなのは、観音堂の屋根にしつらえられた八角楼ですね。





屋根のてっぺんに八角楼が見えます。
ほれっ!



寛延3年(1750年)、長柄のこの地に移転してきた際、豪商がスポンサーになっているのですが、そうしたスポンサー筋を満足させるため、きっと、百観音巡りができる八角楼のような変わり種を建てたんだと思います。観音堂の屋根の上に載せるところがすごいですけどね。
円形、もしくは円形に近い多角楼は、聖徳太子で有名な法隆寺の夢殿を持ち出すまでもなく、神聖なセンスをかんじさせるものと仏教界ではなっとりますので、ありがたいかんじがあったんでしょうな。
これはなかなか見応えのある楼で、機会があれば、登ってみたいもんです。




ところで、満つながりで、冒頭に蟹満寺について書きまくったのにもかかわらず、このお寺さんが、なぜ、鶴満寺と呼ばれるのか、さっぱりわかりません(笑)
鶴が巣をつくったとかなんとかという話はあるのですが、鶴満寺が建ってずーっと後のことなので、それは寺名とは関係ないようです。




鶴満寺
大阪市北区長柄東1-3-12

2009/06/23

日本一と言われる親子丼を、新地に食べにいく

親子丼の美味い店が新地にあると聞いて、丼ものといえば親子丼!な僕としては、行かぬわけにはいきません。

新地は長いこと行ってないエリアで、久々でした。
相変わらず、昼間は仕入れの車が連なってますな。

地図を片手に行ってみると、なんと、めはり寿司が1階に入ってるビルじゃないですか。むかし、ここのめはり寿司を買って、ホステスさんのご機嫌うかがいを、よくしていたのでした(笑) そのビル、というか、めはり寿司のお店の奥だったとは! でんでん、知らなかったです。

ビルの入口のところに、看板と幟が出てました。
看板には、親子丼 800円 はづき。
幟には、 日本一 親子丼 はづき。
親子丼しかやってないお店なのか?


中に入ってみると、10席でいっぱいになりそうなL字形のカウンターだけの、小さなお店です。カウンターのなかには、かんじのよさそうな妙齢の女性が2人で切り盛りされてました

お昼は、ほんまに親子丼だけしかやってないみたいです。
夜は、ちょっとした小料理屋さんに変身するみたい。というよりか、夜の営業が先にあって、要望があって、お昼も開けました、ってかんじです。

一応、親子丼下さい!と注文してみたものの、他のお客さんは座るだけで、特に注文を言ったり聞かれたりするわけでもないので、ミナミの天丼の店みたいに、それ一品で勝負しているお店ですね。

お店の当たり外れは、暖簾をくぐった瞬間に80%くらいの確率で当てる自信がありますが、ここは、「あたり」です☆

掃除が行き届いていて、接客の距離感がよくて、お店に漂っている雰囲気がね、あたり!の空気を醸し出してますわ。狭いので、夜は、一見で行くとしんどいかもですね。常連さんたちが幅を利かせていそうです。

ほどなくして、お茶とお漬けものが出てきたのですが、お茶がね、ちゃんと、その場でお茶っぱを出して、いれてくれます。だから、少し時間がかかるのですが、緑茶の香りが立ってるし、良質かつ丁寧なお茶ですわ。それだけで、期待が持ててしまいますな。

待つことしばし、鶏のスープが出てきて、親子丼の登場です。




筋を丁寧にとったササミとモモ肉に、ほのかに甘く薄めのダシ。そして、絡めた卵のうえに、さらに生の卵の黄身がもうひとつ。
むかしながらの、親子丼ですね。

そうそう、むかし、生の黄身が1個トッピングされた親子丼って、ときどきありました。近頃、とんと見かけなくなったけれども、まだ生きてたんですね。ちょっと懐かしい気分になりました。

黄身は早々に崩してはならず、食べてるうちになにかの拍子で勝手につぶれてくれるので、自然の流れに任せます。そのあいだに、生の黄身にほんのり熱が加わるので、トロリとなって、格段に美味くなります。
ふわふわでとーっても美味しいです。






親子丼というのは、それだけでやさしい味だし、とても静的な料理だと思うのですが、いい材料を使って、丁寧な仕事をすると、そのよさが増幅されますな。



ただ、日本一かと問われると、それはどーかな、と。
美味いものを食べて、稀に、感動することがあります。脳天を貫かれるような衝撃だったり、えも言われぬ快感に襲われたり、涙が出るような心の揺さぶりを感じたりするときが、稀にあります。


美味いことは美味いですよ。どうしようもなく食べたくなるときが、きっとあると思います。ほっこりさせられるし、愛情を感じることもできます。
でも、感動することがなかった。
なので、日本一かと問われると、NO、と、言います。
たぶんね、三つ葉が乗っかってなかったのが、ね。





はづき
大阪市北区堂島1-3-9 日宝堂島センター1F
tel. 06-6348-0313
11:30-13:30 18:00-23:00
土日祝休

2009/06/22

大阪中央郵便局が駅前第1ビルに移転してます

5月7日に大阪中央郵便局が建て替えのために閉鎖となり(そーいえば、当時の総務大臣だった鳩山・弟さんが、文化的見地から建物を保存すべきだとかどーとか、ぶっ壊してる最中に言い出して、ちょっとした騒ぎになってましたな)、駅前ビルに仮局ができたと聞いてはいたのですが、特に用事もなかったので、スルーしてました。

で、本日、近くを通ったので、行ってきた次第。

駅前第1ビルの北東に移転してました。
郵便だけじゃなくて銀行業務の窓口も当然あるわけですが、それぞれ入口がわかれていて、別会社になったんだよ!ということを、アピールしているかのようでした。



郵便のほうをちょっと覗いてみると、窓口が4個くらいしかなくて、一気に縮小した感があります。これでこれまでの機能が維持できるんだったら、今までの中央郵便局はなんだったんだ?ってことになるんでしょうが、まあ、作業スペースがあちこちに分散されてるんでしょうね、きっと。


特に用事はなかったんですが、正面から外観の写真を撮影していると、ガラスドア越しに中から局員(社員?)の人が、じーっと僕を見ていて目が合い、撮影しづらいこと!(笑)

ほら、目が合ってます(笑)




目も合ったことだし、なんとなく、中に入ってしまいました(笑)

そしたら、いらっしゃいませ!のでっかいかけ声が!
なんと、フロアに案内係の人が立っているのでした。

いらっしゃいませ、と言われてもな(笑)
民間になったんだから、ってことなんでしょうが、一生懸命、ユーザーフレンドリーになろうと意識改革してるんでしょうね。NTTんときもJRんときもそうでした。

特に用もなかったんだけど、そのまま引き返すのもあれなんで、郵便局MAPなるものをもらってきました。
梅田周辺の郵便局がマッピングされてるシート。コンビニの取扱店が載ってなかったけれども、これはこれで便利です。


ところで、旧局舎が建て替えられて再オープンするのって、いつ?




大阪中央郵便局
北区梅田1-3-1
tel. 06-6347-8097
郵便 / 9:00-17:00(平日)

2009/06/20

阪神高速12号守口線に入る料金所の脇にある八重垣大明神の情報、求む!

扇町の交差点の西すぐのところに、阪神高速12号守口線に入る料金所があります。
その料金所へ至るスロープの脇に、ちょっとした植え込みがあって、フェンスで囲われている空間があるのです。ちょうど、扇町公園の南側です。

そのまえはしょっちゅう通るのですが、植え込み越しに、ちらちらと祠らしきものが見えるのですね。ただ、道路脇やし、植え込みは結構な茂みだし、おまけにフェンスで囲ってあるので、遠目にはなんも見えないのですよ。

で、昨日、意を決して、接近してみました。

すると、フェンスには出入り口がなく、まーったくなかに入ることができないのですが、そこには、石碑とコンクリ製の祠と、石灯籠がありました。




なんでまったく入れないように、つまりお参りできないようになっているのか、はたまたいつごろ建てられたものなのか、道路が先なのか祠が先なのか…、まーったくわかりません。
巨樹でもあって、ご神木にしているのかしらと見渡してみても、注連縄を飾った樹があるわけでもなく、それらしい樹もありません。

石碑を見ると、八重垣大明神、と刻まれています。

方々調べてみたのですが、この、八重垣大明神という名前の神社は、どこにも出てきません。
明神なのだから神道の神さまには違いないのですが、それ以上のことが、さっぱりわかりません。

どういう縁起があって、どんな神さんを祀ってらっしゃるのか、さっぱりわかりません。

地の長老さんたちにお聞きしても、どなたもご存知ない。

どなたか、ご存知の方はいらっしゃるのでしょうか? 情報、求めます☆















と、ここまで書いて、やーっとわずかながら、手がかりが出てきました。
「北区史」をパラパラめくっていたら、もんのすごい隅っこに、ちっこい注釈が出ていたのでした。

伝説では、江戸初期、堀川の渡し守の息子の与八と浪速屋の娘のお糸は恋仲だったのだけれども、お糸に片思いの十三郎が二人の仲を恨んで、斬りつけたのですね。与八は即死、お糸は重傷を負い、十三郎は死刑です。でも、お糸は傷が治ったのにもかかわらず、与八のあとを追い、このままでは死にきれないから悪霊となって呪ってやる!と言い残して、自害したのでした。
ほいで、そっから約70年後、今度は、八重垣姫と吉五郎が似たような悲劇に見舞われてですな、これは鎮めなければならん、ということで、ここに八重垣姫を祀る八重垣大明神を建てた、というのが伝説です。
後半、唐突に、八重垣姫と吉五郎なるカップルが登場するので、なにがなんだか!って伝説ですが、とにもかくにも、そーゆーことがあって、ここに祠を建てた、と。

あんまりすっきりしないんですが(笑) ちょっと手がかりがつかめました。
引き続き、情報求めます☆





八重垣大明神
北区扇町1-1

2009/06/19

浮田が中崎町化して、また中途半端なカフェが増殖している件

どーも、こじゃれたカフェとか行かないように思われているみたいなんですが、ええ、行きません(笑)
高いし、能書き多いわりには能書きほど美味くないし、接客が未熟だし…。

老舗の暖簾にあぐらをかいてるところも好きじゃないですが、まだ老舗のほうが、あたる確率は高いかな。

まあ、でも、ときどきは行くんですよ、こじゃれたカフェにも。

家の近くをウロウロしていて、たまには行ったことがないエリアに足を踏み入れてみようと、中崎町の商店街のすぐ北あたりの小径をズイズイッとチャリで入っていったのですね。完全に普段の活動エリアの範囲内なのですが、このあたりは、ホワイトアウトみたいなかんじで、まーったく足を踏み入れたことがなく、僕的には完全に抜け落ちている空間なのでした。

入ってみると、流行りの中崎町と雰囲気が似てます。

古い民家をリサイクルして、小資本でカフェや雑貨屋さんやヘアサロンや、その他諸々のお店をやるという形態。

放置されていた長家を改装して、木のぬくもりがあって、中庭もあって…。
こんなお店です。ここは続き長家になっているので、隣近所も、やはりおなじように、カフェやサロンが並んでいます。
これから悪口を書くつもりなので、あえて店名は出しません。写真だけ、出します。





このお店の売りは、サンドイッチです。
ボリューム、あります。美味いです。



これは、エビカツサンド。
ちゃんとしたエビカツですね。
この他にも、鶏とキンピラゴボウのサンドイッチや、鶏とチョリソーのサンドイッチなど、いろいろあります。





でも、高いです。
そして、美味いけれども、能書きほどには美味くないです。
スローライフというか、要するにちゃんとした材料を使ってちゃんとしたものをつくるということをわざわざ声高に叫んでいるお店は、僕は、商売としてはどうかと思うのですね。

ちゃんとした材料を使ってちゃんとしたものをつくるのは、飲食を商売にする以上、あたりまえのことでしょうに。心地いい空間を提供するのも、これまたあたりまえのことで。それを、わざわざ言わないとダメなお店って、なんなんでしょうか?

美味ければ、どこ産の鶏であっても関係ないはずです。
食ってみて、美味い!というのが先にあって、この鶏は美味いですね!って問いかけがあって、じつは○○産の鶏で…、って、順序が、あたりまえだと、僕は思うのですよ。
それが、だ。こーゆーお店は、○○産が、真っ先に来る。

大阪の商売は、そういうことを言うのは下品だから言わない、という文化があるので、商売人としての教育をキチンと受けた人がやっているお店は、そういうことを言わないし、居心地のいい空間づくりは、店をオープンさせてからの絶え間ない持続によって、黙って努力してます。でないと、お客が離れていくからね。

さらに言えば、ちゃんとした材料を手に入れるのは難しいのはわかるのですが、だからといって、仕入れの実力をつけてないから、原価がかさんで、そのぶんを価格に乗っけようとします。
だから、高い。
価格は、商売をする人にとっては、大切なメッセージだと思うのですが、なぜか、原価から計算して、経費を乗せて、自動的に売価を弾き出し、なんの疑問もなしに、まあまあ高い売価で売ってます。

ちゃんとした材料を、ちゃんとした調理法で、心地いい空間を、いろいろとメッセージを出したがるくせに、肝心の、設定されている価格から、その人の思いが伝わってくることは、ほとんどありません。

サンドイッチと飲みもので1,000円超えるというのは、利益を乗せすぎているか、仕入れの努力をしていないか、スケールメリットを追求していないかの、どれかです。思いを込めた価格がまずあって、その価格で商売を成り立たせるための工夫が、感じられないのですね。
さらにいえば、店主の思い云々以前に、その価格で、このエリアでやっていくには、図々しすぎます。

いい材料をそれなりの値段で仕入れて提供するのは、誰でもできることです。それだったら、おんなじものを市場で買ってきて家でつくって食べたほうが、安くすみます。
そうじゃなくて、仕入れの努力をしていい材料を安く仕入れて、プロにしかできない技で調理して、プロにしかできない接客をして、それでいて、これは安いわ!と思わせなければ、商売でもなんでもないでしょうに。


件のお店は、放置されていた長屋を自分たちで改装して…、というのをウリにしていました。
日用大工の延長で家のリフォームをやるから、僕が座った場所は、店のスタッフが横を通るたびに床が揺れて、何度も椅子から転げ落ちそうになるほどでした。
それも味だ、というなら、商売としては失格だと思います。

2009/06/18

すまん大阪市! 定額給付金が振り込まれてました(笑) でも…

定額給付金が振り込まれてました。


6月9日に、「定額給付金はいつ振り込まれるのか?」って文句を連ねたエントリーを書いたら、なんと8日に振り込まれいたのでした(笑) すまん、大阪市!

振込名義人は、「オオサカシテイガクキュウフキン」となってました。そのまんまか…。

でも、振り込みました!って通知が大阪市から来たのは、17日。振り込んでから9日後。ひいき目に見て、7営業日後。遅くないか?

これが、郵送されてきた通知書です。



まあ、僕は商売人なんで、しょっちゅう口座の照会をしてますが、サラリーマン家庭では、そうそう口座照会なんてしないでしょうから、振り込まれてから1週間以上も通知なしって、ちょっとかわいそうな気がするんですが…。

こんなもん、遅れようが遅れまいが、仕事量は変わらんはずなので、こんなにも遅れてやってくる理由が、よくわかりません。これが仮に、月をまたいでの9日後だったら、なにかが手遅れになる人だっているような気もするし。

で、僕は違うんですが、ゆうちょ銀行の口座を振込先に指定している人は、振込自体が遅くなるらしいです。なんでだか知らないけれども。ex郵便局は、まだまだ民間になり切れてないってことですかいな?



そうそう、最近リサーチしてわかったことですが、定額給付金は、大阪市の場合、申請書を提出した時期の如何にかかわらず、エラい人はずーっと早くに振り込まれてますな。
複数リサーチしたので、きっと偶然ではないはず。

こーゆーことは、きっと、平松市長は知らないんでしょうな。役人が勝手に気を利かせてやってるんでしょうな。

要するに、役所の○○課や○○局に出入りしている地域や業界のエラいさんたちがですな、給付金の申請書を郵送するのが面倒だから、そこの担当役人に直接渡しちゃうわけですよ。
で、申請書を受け取った役人さんが、それを給付金の担当部署に直接持っていって、持っていったときに、エラいさんのだからヨロシク~、と、ひと声かけるわけです。
早くして!って具体的な要望は出てないにしても、その流れで、役人さんたちが勝手に気を使っちゃうわけですね。で、早々に支給される、と。

要するに、気を利かせてるわけです。
どこにも迷惑がかかる話じゃなし、べつにどーでもいいんですけどね。でも、いろいろとえこひいきの果ての悪さが発覚して事件になるのを見るにつけ、そういうことと、地続きで繋がってるように思いますわ。体質の問題ですね。

2009/06/17

大阪駅物語(4) ~栄光からの転落と民営化編~

明治7年に大阪駅が誕生して以降、鉄道の歩みはそのまんま日本の近代史そのもので、あいだに戦争を挟んだものの、基本的には、右肩上がりの成長を続けてきました。

ところが、飛行機や自家用車、船舶という第2第3の陸上輸送機関の台頭により、経営に翳りが出てくるのですね。
で、昭和39年(1964年)、国鉄はついに赤字に転落してしまいます。
大阪駅物語第4弾は、ここからはじまります。

そもそも、空港も港も道路も、国や地方自治体の費用で整備され近代化されていったのに対して、鉄道の線路敷設も車両の整備も新駅の新設もなにもかも、国鉄は、自前でやってきたのですね。
加えて、石炭から石油へのエネルギー転換が、赤字路線を増やす結果となったのでした。
国鉄、というか鉄道そのものが斜陽産業となっていったのですね。私鉄は、沿線の都市開発や百貨店経営など、多角的に経営の手を伸ばすことで繁栄していくのだけれども、国鉄は、輸送一本ですから。

それでも、大阪駅は、駅ビルの店舗拡充などで、利便性を図るとともに、関連事業に力を入れて、少しは頑張ってきたほうですな。

それはともかくとして、大阪駅が本来の輸送業務でこの時期行なった改革としては、
昭和45年(1970年) 新快速がデビュー。
昭和48年(1973年) 環状線を経て奈良に達する快速電車がデビュー。
それ以外にも、お座敷列車などの新しい商品というかサービスも、開発されてます。
路線の延伸から、スピードアップやイベントなど、快適な移動に、サービスの主眼が転換されたわけですね。


そしてこのとき、関連事業として、大阪駅ビルの建設がはじまります。

大阪駅の正面に商都・大阪の玄関口にふさわしい駅ビルを建設しようとする動きは、昭和30年代の終わり頃からあったのですが、その計画が実際に動き出したのは、昭和52年(1977年)に、大阪市長の諮問機関であり、経済界や学識経験者から成る「大阪駅ターミナル問題懇親会」が発表した「駅ビル構想」からです。

この構想は、駅本屋を北側に移し、その跡地を利用して、地下4階、地上27階のビルを建設、百貨店をキーテナントとしてホテル施設を持った商業ビルを建設しようというものでした。まさに、今のアクティ大阪そのものですね。

これ、当時の金で総額500億円を超す超巨大プロジェクトから。すごいですね。

で、計画が実際に実行されることとなり、昭和53年(1978年)に駅北側に本屋と構内営業店舗を移転するための北ビル建築工事がはじまり、昭和54年(1979年)に駅長室が完成して、第4代目の駅舎がオープンします。初代からずっと駅の南正面にあった駅本屋が、初めて、駅の北側に移った瞬間でした。

これが、第4代目の大阪駅舎。…じゃなくて、駅ビルです(笑)もう、写真がない!



ようやく、今の再開発がはじまる直前の大阪駅の姿になってきました。

駅ビル本体の工事は、昭和54年(1979年)に完成。管理会社として、大阪ターミナル・ビル株式会社が設立され、大丸百貨店と大阪ターミナルホテルがメインとなって入居しました。

こうした駅ビル経営も経営改革の一環なのでビルト&スクラップがあるわけで、駅ビル建設をビルトとすると、スクラップの面では、合理化ですね。でも、合理化に反対する一部の国鉄職員がストに次ぐストを繰り返し、大阪駅でも中央コンコースでデモ隊のジグザグ行進が繰り返されたり、昭和40年代の半ばには、過激派による安保反対運動の標的にもなったりした大阪駅なのでした。線路の砕石がデモ隊の投石の武器にならないよう金網を張ったり、工事材料を鉄板で囲んだりと、ま、いろいろとケアしなければならないことも多々ありました。

紆余曲折はいろいろあったのですが、それでも業務の合理化は進み、大阪駅では、昭和55年(1980年)に小荷物扱いの縮小、アウトソーシング化に取り組み、昭和57年(1982年)には駅員による小荷物扱い業務がすべて姿を消してしまいました。駅から赤帽さんが消えたってことですね。

さらに、大阪中央郵便局のところから、地下道を通じて扱っていた郵便物の鉄道輸送も廃止され、荷物列車、郵便列車が完全に大阪駅のホームから消え去り、駅の西半分の荷物扱い場所は、がらんどうになってしまったのでした。


旅客扱いの自動化、つまり自動改札機の導入、案内所業務のアウトソーシング化、案内掛の合理化、荷物列車全廃を契機にして入れ替えや輸送業務の縮小など、昭和60年前後は、業務の効率化と人員の縮小が続けられました。

このような再建策が国鉄全般にわたって行なわれたわけですが、国鉄の経営は一向に好転せず、累積赤字は年々増加し、ついには、自力での再建などまったくおぼつかない事態となったのでした。

結局、国鉄改革と再建の方策は、首相の諮問機関としてつくられた「国鉄再建監理委員会」の答申に基づいて分割民営化されることになり、東日本、東海、西日本、北海道、四国、九州の6つの旅客鉄道会社と全国を一気通貫する貨物会社を設立し、債務処理を主任務とする国鉄清算事業団を設置することなどを盛り込んだ「国鉄改革関連法案」が昭和61年(1986年)に国会で成立し、昭和62年(1987年)に、JR各会社が発足したのでした。

で、JR西日本の本社は旧大鉄局に置かれ、大阪駅は、その所在駅となったのでした。

ところで、国鉄清算事業団が抱えた国鉄の債務を弁済するために税金がつぎ込まれているのですが、その税金の原資とするために、タバコ税が割り当てられ、後年、タバコの値上げの一因となっています。なので、JR各社はホワイトナイトである喫煙者を優遇する道義的な義務があると思うのですが、JR発足以降、喫煙者の虐げられかたはひどすぎると僕は思うのですが、いかがでしょうか?


それはともかくとして、JR西日本となった大阪駅は、地域に密着し、ユーザー本意の輸送サービスを提供することを経営理念に掲げています。郵便局も電電公社もそうでしたが、お役所に、ユーザー本意という発想はないですから、どこも、民営化にあたってはコペルニクス的転換が求められますね。

その点、JRというか、大阪駅は、頑張ったほうだと思います。
象徴的だったのが、構内営業店舗が、それまであった駅の業務施設を移設してまで、特等場所に移ったことでした。業務のためのスペースを駅の一番便利な場所に置くというのが官の発想だけれども、民だと、そこは一番稼げる場所、ユーザーにもっとも使ってもらいたい場所、という発想になりますから、そうなります。

このあと、荷物扱い場所が廃止された駅構内西側のスペースには、平成3年(1991年)、ギャレ大阪がオープンします。

以上が、これまでの大阪駅を俯瞰で見た歴史。
現在は、1日に約90万人の乗降客と、1日に約30万人の乗り換え客が利用する、やっぱり超巨大駅です。

次回は、いよいよ最終回。
大阪駅の未来計画です。



JR大阪駅
大阪市北区梅田3-1-1

2009/06/16

キッズプラザ前の移動メロンパン屋「どんきほーて」



こないだの日曜日、キッズプラザで、映画「トランスフォーマー / リベンジ」のオープニングイベント、コスプレ大会っちゅーのがありまして、映画のトランスフォーマーにもコスプレにも特に興味はないのだけれども、キッズプラザなら歩いてすぐだし、ちょこっと顔を出してきたのでした。

ちびっ子さんたちとオタクっぽいにいちゃんたちが大集合してましたな。

ま、それはいいんですが、撮影禁止なんですと。
キッズプラザの3回のゲームコーナーから窓越しにカメラを構えてる人もいたけど、係員に見つかって、撮影を断念させられてました。

でもなあ、プラカードやら段ボールでつくったガンダムみたいな自作のコスチュームを着たにいちゃんたちがステージに上がるんだけど、それがしょぼくて(笑)
こんなもん、撮影禁止にせんでも、撮影する気すら起きません…。

かーなり残念なイベントでしたな☆

会場で、チビさんを連れたご近所さんに会いましたが、タダだから覗いてみようか、くらいなもんで。


収穫といえば、移動メロンパン屋さんの「どんきほーて」が出店してたことかな。
「どんきほーて」のサイトはこちら。
http://www.meron.donki-pan.com/




大抵はキティちゃんの焼き印を入れたメロンパンだけれども、キッズプラザ前に出店するときは、ハチエモンのメロンパンになるんですな☆




キッズプラザ大阪
北区扇町2-1-7

2009/06/15

赤バスがなくなっちゃうらしい


赤バス、廃止が検討されてるみたいですね。週末のニュースに出てました。

全国的にもコミュニティバスは、縮小トレンドになってますけど、大阪もかぁ、ってかんじですね。

ニュースによると、赤バスは、全28路線のうち27路線が、赤字だそうです。
で、路線も、既存の一般の路線バスと重複しているところも多いそうです。
25人乗りなのに、平均で4.0人の乗車密度だそうです。
今年度で73億円の赤字が生じ、累積だと606億円の赤字だそうです。
平成14年から運行しているので、7年で606億円も赤字を出してるって、ちょっととんでもないですけどね。

段階的に路線を廃止させていって、平成22年度末には全廃の方向で話が進んでいるようです。
平成22年度に車体の買い換え時期を迎え、買い換えとなると約16億円の新規投資が必要なので、そこで全廃に踏み切る、と。や、決定したわけじゃないんですが。

今の平松市長は赤字体質の大阪市営地下鉄の民営化を公約に掲げて当選して、当選後、議会等の抵抗にあってその公約を引っ込めたはずですが、赤バスの廃止については、あんまり抵抗にあってないそうです。そりゃ、高齢者に街頭インタビューすりゃ、反対!って声は多いんでしょうが、少なくとも、行政サイドからの抵抗はないみたいです。


僕、赤バスに乗ったことがありません。赤バスがカバーしている地域なら、すべてチャリで移動するからです。
一律100円なのは魅力なんだけれども、そもそもどこにバス停があって、いつ走っていて、どんなルートを走っているのか、知りません。
調べてみると、北区だと、長柄東から大淀中のルートを走っています。
これが北区の長柄東~大淀中の路線図。
http://www.kotsu.city.osaka.jp/eigyou/route-map/akabasu_rosenzu/kita_ku.html

ネットで調べてみると、大阪市交通局のサイトに赤バスの路線図がアップされていたけれども、そもそも赤バスがターゲットにしたユーザー層は高齢者で、高齢者のネット利用率はやっぱ低いのだから、ネット以外の既存の媒体を使って、もちょっと広報するべきなんじゃ、と思います。

ボディやらなんやらに広告入れまくったり、ネーミングライツを売ったり…、ちょっと考えてみたけれども、その程度の収入増だと、累積赤字606億円のまえでは、砂漠に水を撒くようなもんですな…。


代替案として、デマンド交通を導入することを視野に入れているようですが、あれって、要するに、乗り合いタクシーのことですよね。救急車をタクシー代わりに使う人が絶えない時代に、乗り合いタクシーって、上手くいくんですかね?第一、デマンドにするんだから、予約制でしょ。きっと、我慢できないくらいのタイムラグができますよね。

なんか文句ばっかり言って代替案のひとつも出さない無責任な野党のエントリーみたいになってしまいましたが(笑)

だたひとつ言えるのは、ここも天下り先のひとつなんで、天下りさせてもいいけど、給料と退職金のケタを2個くらいは削れよな、とだけは言っときます(笑)僕は、天下り反対論者ではないけれども、あの人たち、ロクに仕事もしないんだから、バカみたいな高給と退職金は必要ありません。適正値にしてください。だから、そこはサクゲンして、重点路線を絞って、いくつかだけでも運行させる手は、ないのですかね?




とりあえず、1回も乗ったことがないので、廃止になるまでに1回は乗ってみることにします。
たしか、スウェーデン製のバスですよね。

2009/06/13

大阪駅物語(3) ~戦後イケイケドンドン時代編~

大阪駅物語第3弾です。

これまでのは、こちら。
大阪駅物語(1) 誕生編
大阪駅物語(2) 戦前黄金期から終戦までのジェットコースター時代編



昭和20年(1945年)8月15日、日本の無条件降伏が決まって、玉音放送が流れ、敗戦となったその日も、鉄道は走ったらしいですね。

大阪駅も、翌日から、軍隊の復員輸送やら海外からの引揚者輸送、進駐軍輸送などで、目がまわるくらいに忙しかったようで、関係者は敗戦の事実を受け入れる間もなく、飛び回っていたんだと思います。人間、ヒマにしてるとロクなことを考えないものなので、こういうとき、忙しいくらいのほうがよかったかもしれませんな。

どんな情勢下であっても、物流、輸送といったロジスティックは社会の根幹を支えてますから、当然、日本を占領したGHQも、ここを押さえにかかります。RTOという進駐軍の鉄道輸送司令部が、当時の大阪駅の1等・2等待合室にできます。ここに米軍の将校が駐在し、進駐軍専用列車の運行や軍人とその家族の旅行などについて、あれやこれやと指令を出します。きっと、国鉄の事情などおかまいなしに、そういうことが最優先で行なわれていただろうことが、目に浮かびます。

終戦直後は、なんせ時の政府がなくなってGHQが仕切ってるうえに、体制が劇的に変化する時期ですから、混乱に混乱を重ねたような、超カオス状態になっていたはずです。

それこそ、疎開先から帰ってくる人や、食糧の買い出し、復員、帰還、引揚の人たちで、乗車率300%とか、今の後進国やら御堂筋線の朝のラッシュに見られるような、超混雑状態の列車が次々と走ってました。
そこへきて、石炭不足で列車の運行本数が大幅に削減されてますから、もう、とんでもないことに…。

列車だけでなく、空襲で家を焼かれた人や家族を失った人たちがホームレス化して、大阪駅の高架下や構内にたむろするので、混沌とした状況にさらに拍車がかかります。大阪駅前一帯には闇市ができて、収拾もつかず、それはそれは妖しくもあり楽しくもあり、もちろん悲しくもある風景が展開していました。

大阪駅前の闇市は昭和21年(1946年)の一斉取り締まりで封鎖され、それと相前後して、大阪駅前の照明が強化され、次第にターミナルとしての健全さを取り戻していきます。

そうした混乱も含めて、敗戦の日も休むことなく走り続けた国鉄は、文字通り、復興の大黒柱となるわけです。大阪駅でも設備が徐々に修復され、発着列車の本数も増え、急速に往時の賑わいを取り戻していきます。

だいたい、どこのどんな国に行っても、ある時期までの鉄道は、文明や夢や希望を運んでくる象徴として扱われることが多いですが、この時期の日本でも、鉄道は、復興をはじめた日本の象徴として人々の心のなかにあったように思います。ホラ、汽車がやってくる!というそれだけで、なにかワクワクする気持ちが、誰の心にも少しはあるじゃないですか。



昭和21年(1946年) 木造の0番ホームができ、城東線や西成線の降車ホームとして使用される。

城東線というのは、今の環状線の前身なので、このホームが、今の環状線が乗り入れている、番号のついていないあのホームの前身にあたるんでしょうな。

昭和24年(1949年) 東京-大阪間に特急列車が復活し、「平和」(のちに、「はと」に改称)が9時間で運転される。

その後、「つばめ」も復活し、大阪駅を中心に本線支線の各方面に、特急や急行列車、夜行のブルートレインなどが、堰を切ったように増発されるようになります。
それでもどの列車もすぐに満席になる盛況で、週末や盆暮れの繁忙期には、なかなか希望の切符がとれないという、現代の名物にもなっている盆暮れの民族大移動による鉄道の大ラッシュが、すでにこのころからはじまっています。

飛行機や自家用車などの、鉄道に代わる移動手段が一般化されていない時代ですから、一極集中というか、移動手段といえば鉄道が一手に担っていた時代のことです。


さて、この時代の鉄道の様子を、夏目漱石の弟子筋の内田百閒が『特別阿房列車』(昭和26年発表)で活写しているですが、そのなかに、一等席担当のボーイにベッピンさんの女性を起用しているらしきことを時刻表の写真で見つけて憤慨している記述が出てきます。酒や弁当を売る車内販売のボーイなのですが、やっぱ、一等となると格式云々なんてことも出てきますから、二等三等では女性が担当しても、一等まで女性が担当するのは違和感があったようです。なにやら、そのあたりの風俗は、時代を感じますな。

ちなみに、内田百閒の『阿房列車』シリーズは、日本の鉄道紀行文学の走りで、当時の旅情もかなり正確に味わえるのですが、それ以上に、内田百閒が延々と書き連ねるへ理屈の塊みたいな文章が、すこぶるおもしろいです☆


閑話休題。
この時期、大阪駅では、仮設テントの待合所が出現します。
昭和35年(1960年)、8月の盆のラッシュに対応するため、駅前広場に仮設テントをつくるわけですが、その後、盆だけではなく年末年始にも設置されるようになり、これが、昭和46年まで続きます。
僕は、ぼんやりとしか記憶がないんですが、当時、盆と年末年始の風物詩としてニュースに取り上げられたりしているのをテレビで見た記憶が、あります。


また、戦後すぐに対応しなければならなかった問題として、地盤沈下による駅のかさ上げ工事が挙げられます。
これは大阪市全体の問題でもあったんですが、軟弱な淀川河口の地盤のうえにできた工業都市が大量の地下水を汲み上げるのだから、泥土層が収縮して沈下する、という事態が起こります。

大阪駅ももちろんこの問題に直面していて、たとえば構造体が地下深くの岩盤にまで届いているところと途中までしか杭打ちをしていないところとでは沈下の度合いが違ってきており、大阪駅全体が波打つような不等沈下の状態になってしまっていたのでした。
中央コンコースはもともとはビタッとした平面だったのが、南側は沈まず、北側だけが沈んで、2メートル近い段差ができていたといいますから、かなりのもんです。
それでもコンコースはいいほうで、線路も波打ってますから、発車する機関車の車輪が空回りして難儀するというようなことが、各所で見られるようになりました。

この工事がね、これまた難儀したらしいです。
ホームや線路を持ち上げ、高架の脚が地下岩盤にまで届くよう強化工事を施し、すべてを水平な状態にするような工事ですから、時間がかかります。
昭和27年(1952年)に工事がはじまって、すべてが完了したのが昭和32年(1957年)です。


さてこっから、国鉄の戦後黄金時代がはじまります。

昭和36年(1961年) 北面に6号ホームが完成し、東海道線上り、北陸方面列車の発車能力が増強。

昭和39年(1964年) 西成線の大阪-西九条間の高架工事が完成し、大阪環状線が、完全にグルグルまわりの環状運転に入ります。

昭和45年(1970年) 大阪万博の多客輸送に備えて、南側に線路を増設し、環状線が、内回り外回りの両面にわかれて発着できるようになります。

この線路増設は、駅の本屋建物を削る大工事で、これにあわせて、改札が駅の中央コンコースに移ります。それまでは、駅前のオープンカウンターだったんですね。
で、それまで駅中央コンコースにあった構内営業店は、新設された東西地下通路に移されます。
これら一連の工事が、4年越しで、昭和47年(1972年)に完了。


そしてですな、いよいよ新幹線が登場します。
東海道本線の輸送力が逼迫する状況を抜本的に打開するために工事が進められてきた新幹線が昭和39年(1970年)に開業し、同時に新大阪駅が誕生します。

これにより、大阪駅で発着していた東京方面への特急・急行列車は、山陽・九州方面へ通し運行されるブルートレインを除いて大部分が廃止され、新幹線に移り、発着駅も新大阪に移りました。
さらに、昭和47年(1978年)に山陽新幹線が岡山まで開通し、続いて昭和50年(1981年)に博多まで延伸したことによって、その方面の優等列車もなくなり、大阪駅は、近郊電車と、北陸・福知山・山陰方面の輸送拠点となってしまったのでした。

この、新大阪駅と大阪駅の分業化は、かつて分化した大阪駅と梅田荷扱所の分化と違い、大阪駅が専業としてきた旅客輸送そのものの分化だったので、このころが大阪駅の最盛期の終焉だと言えるかと思います。

ここまでが、大阪駅の第3期です。
次回は、代替えの輸送手段の台東による、国鉄のリストラとそれにまつわる大阪駅の遷移、になります。




JR大阪駅
大阪市北区梅田3-1-1

2009/06/12

1,000,000人のキャンドルナイト@茶屋町(キャンドル画像28枚付き)

先週、西梅田でやってたキャンドルナイトは、気がついたのが当日の夜10時で、すでに終了していたのでした。で、あーあ、今年は見逃したわ~、と思っていたら、茶屋町でもやってることを知って、行ってきたのですよ。
茶屋町アプローズから、NUあたりにかけて。

人がてんこ盛りですね。
奈良の燈花会も人が多いけれども、あっちはエリアがめちゃ広いので、それほどの息苦しさを感じることはありません。
でも、茶屋町のは、エリアが狭いせいもあって、キャンドルの周りは黒山の人だかり…。ま、都会でやるイベントなので、仕方ないっちゃ仕方ないですね。
それに、周囲の電気を消してこそと思うんですが、そうそう消えているわけでもなく、もちょっと趣旨に沿ったイベントにしないとなー、と、ちょっと思ったりして。


さて、谷崎潤一郎が『陰翳礼賛』で書いているように、キャンドルの灯りは、あの暗さがいいですね。『陰翳礼賛』では食べものについての考察が書かれてますが、食べものは、基本的にはエロチックな存在ですから、キャンドルの灯り程度に暗さがないと、美味しく見えません。

それはともかくとして、キャンドルを灯す行為自体は、とーっても素敵な行為だと思うのです。
キャンドルの灯りは、その暗さゆえに、闇をつくり出します。
都会に煌煌と灯る電気は、その強さゆえに、闇をすべて消してしまう。闇がないということは、光もないということです。夜がなければ昼がないように、死がなくなれば生もなくなるように、絶望がなくなれば希望もなくなるように、電気は、闇を消すことで、光まで消してしまいます。

一色だけで塗りつぶされてしまった、のぺっとした、奥行きのない世界が、電気のつくり出す世界です。でも、キャンドルの灯りはそうではなくて、ちゃんと闇をつくり出してくれます。
それを見るにつけ、この世界には、闇があり、闇があることで初めて光が存在できるのだ、という、あたりまえすぎる事実に、気づきます。
そして僕たちは、そういう、闇も光もある、奥行きのある、単色でない彩りのある、そういう世界にいるのだ、という事実に、気がつきます。

なので、ときどきは、キャンドルの灯りに触れてみたいと思っています。
なので、キャンドルナイトのようなイベントに触れるのは、とても意味があることだと思うのです。

そのためにも、やっぱ、周囲のビルが放つ電気の光は、消してもらいたいもんですね。