2009/11/30

寺子屋風にサイエンスを学ぶ「北天満サイエンスカフェ」。天五中崎通り商店街で新型インフルエンザについて学んだのでした。



11/28(土)、天五中崎通り商店街で定期的に行なわれている「北天満サイエンスカフェ」の第3回があったので、またまた行ってきました。

北天満サイエンスカフェのサイトもあります☆

http://kitatenma-cafe.com/



前回は遺伝子の先端部分であるテロメアの構造とその働きについてという、ノーベル賞を受賞した研究についてのお話で、頭んなかが文系でできてる僕には敷居が高すぎたのですが、今回のお題は、「新型インフルエンザについて、個人がするべきことと行政がするべきこと」。ちょい、文系寄りです(笑)

ただ、僕はですな、「病は気から!」の人間でして、この20年近く、インフルエンザはおろか風邪ひとつ引いていないというアホウな人間なので、これまた縁遠いなあ、という、一抹の不安を抱えながらの参加となったのでした。。。

春先だっけ、新型インフルエンザが流行って猫も杓子もマスクをしていたときも、皆がマスクをして自分の口から出るウイルスを防いでくれるということは、オレはマスクしなくてもいいってことやん!ってかんじでしたから(笑)

会場は、前回は商店街の路上だったのですが、今回は、商店街の「HeArt美容室」の2階が会場です。寒いからね。で、いそいそと行ってみると、なんと、お店の方が住んでおられるのだろう普通の家の畳の広間なのでした☆
前回は紙芝居風辻説法だとしたら、今回は寺子屋です(笑)
おやつは、岸和田でその日に収穫した無農薬のみかん☆ タダで参加して、みかんとお茶までいただいていいのかしら?(笑)

さてさて、今回のお題を提供してくれたのは、大阪市東住吉区保健福祉センターの亀岡照子保険師です。

保険師ってなに? ってところから、話ははじまります。

キレイで上品なお声の持ち主の亀岡先生の第一声は、自己紹介を兼ねて、保険師とはなんぞや?ってところから、話の紐が解かれたのでした。




病院の医者や看護士さんが病人個人を相手にするのにたいして、保険師さんというのは、主に、地方自治体が設置する保健所や保健センター、あるいは学校で、地域全体の保健衛生の向上に努める仕事をされているらしいですな。
病院の医者や看護士さんが点で仕事しているのに比して、面で仕事されているといえばいいのかな。

2000年の雪印の集団食中毒事件があったとき、縦割り行政に阻まれて初動が鈍く、被害が拡大したのだけれども、そのときの教訓を生かして、今では保険師さんに大きな権限が与えられているそうです。そういうときに、立ち入りをしたり、調査したり、行政と組んで行動したり…、そういうところで活躍されているのが、保険師さん。

なんとなく、そういう仕事をされている人がいることは知っていても、その仕事をされている方を「保険師」と呼ぶことは、知られていないように思いますわ。少なくとも、僕は知らんかったです。

話の後半にも出てきたのですが、新型インフルエンザにかぎらず、感染症は、21世紀の現在になっても、先進国であっても、まったく撃滅しておらず、行政や個人レベルのでの公衆衛生の向上はこれからもますます重要になってくるのだから、こうした人たちの地位向上は、必須だと思いますわ。ちなみに大阪府は、予算、減らしてますけど。。。

ちなみに、大阪市は約70年前に全国でも一番最初に保険師を設置した地方自治体だそうで、これは、先代の関市町がエラかったということです。さすが、南北にどでかい御堂筋を通した人だけのことはありますな。


さて本題の新型インフルエンザです。
比較的若い人が新型インフルエンザにかかっているわけですが、40歳代以上の人はこれまでにさまざまなウイルス性感冒にやられてきたので免疫があるからかかりにくい、というのは、今のところ証明はされていないそうです。
その定説はともかくとして、現在、約1.2億人の日本人のうち、1000万人強の人の発症が認められているので、10人に1人が発症したことになります。結構な割合ですな。

感染率が高いのだけれども、手洗い、うがい、マスク着用の3点を真面目にやってれば、かなりの確率で防げるそうです。
ただし、たとえば手洗い。アルコールの速乾性消毒液や、キッチンハイターやブリーチを薄めたもので手洗いするわけですが、大人だと、現状、平均で約5秒の手洗い…。でも、本当は、15~30秒は手洗いしないとダメみたいですね。掌、手の甲、指と指のあいだ、指、手首と、順番に手洗いすると、それくらいになります。これ、保険師さんが学校単位で指導して、小学生なんかは、そういう手洗いを素直に励行するのですが、大人は…、ホラ、面倒だとか忙しいとかいろいろあって、適当におざなりに手洗いをすませるので、厄介ですな(笑)
小学生の女の子が前に出てきて実演してくれましたが、すでに学校で教えられて励行しているらしく、完璧☆




地味なことだけれども、真面目に取り組んでたら、新型インフルエンザも、かなりの確率で封じ込めることができるとのことです。

公共の場所、たとえば学校なんかだと、
1)換気をする。
2)テーブルやドアノブ等の皆が触れるところは、アルコールの速乾性消毒液や、キッチンハイターやブリーチを薄めたものに浸した布でこまめに拭く。
3)手洗い、うがいをする。
これを真面目に取り組め、と。

手洗いでも、消毒液の入ったプッシュ式の容器はあちこちに置いてあるけれども、調べてみると、置いてあるだけで誰も手洗いをしていないと、中の消毒液も1週間前の古いもののままだったりするわけで、これだと手洗をしていることにならないばかりか、この消毒液だと手洗しても意味がない、ということにもなるわけで、このあたり、真面目に!ということになります。

ほいで、今回のインフルエンザの怖いところは、発症をきっかけに、もともと持っていた病気が重症化する危険があって、そこが怖い、ということです。
喘息や心臓疾患を持っている人なんかは、インフルエンザ発症をきっかけに重傷化する恐れがあるので、そこ、気をつけるように、と。

んで、今、行なわれているワクチン接種ですが、勘違いしている人が多いのは、ワクチンを打ったからといってインフルエンザにかからないわけではない、ということ。
重症化を防ぐためにワクチンがあるわけで、副作用のリスクもゼロではないので、これはもう、打つか打たないかは人それぞれだとしかいえないそうです。

かかりつけのお医者さんや懇意にしているお医者さんがいる場合でも、アポなしで直接出向くのではなく、必ず、電話をしてから行くこと。というのも、インフルエンザの場合は、時間と空間を他の患者さんと分けないとダメなので、アポなしで来られると、どんなに懇意にしているお医者さんでも困る、と。


とまあ、亀岡先生のお話は具体的でわかりやすく、かつ、キレイなお声とは裏腹に行政批判や現状の課題なども飛び出し、かつ多岐にわたり、かーなりおもしろかったですよ。
メディアはセンセーショナルなことばかりを取り上げるけれども、この場だと、実質的な話がメインで、かつ具体的なので、参加された方にとっては、かなり実のある時間だったと思いますな。



次回は、12/12(土)14:00~。場所は、今回と同じく、天五中崎通り商店街のHeArt美容室さんの2階。お題は、「遺伝子組み換え作物は安全か?」です。
これまた、生活に直結しているサイエンスなので、実のある時間になりそうです。
時間が許せば、参加しようと思ってます。タダだしな!




北天満サイエンスカフェ
天五中崎通り商店街 HeArt美容室
大阪市北区黒崎町5-16
HP http://kitatenma-cafe.com

2009/11/28

なぜか風俗店に愛されている天満の大神宮(夕日の神明)



天照大神を祀る神社を神明社といいますが、大阪には、かつて、天満の大神宮(夕日の神明)、神崎町の大神宮(朝日の神明)、平野の神明宮(日中の神明)の3社がありまして、天満大神宮が夕日の神明と呼ばれるのは、社殿が西を向いていたからなのでした。

ということは、話としては知っていたのだけれども、具体的な場所を調べたこともなく、たまたまチャリを走らせていたら、曽根崎でそれらしきものを見つけて、これか!と。

曽根崎1丁目町会さんが熱心にお世話されているようで、きわめていいかんじで保存されてます。
ただ、石の柵のところに刻まれた寄付された方々のお名前を眺めていると、風俗店ばっかりで、ちょっと笑ってしまいました(笑)




老舗の風俗店ばっかりですやん(笑)

このお宮さん、太融寺で有名な、というよりも、源氏物語の主人公である光源氏のモデルといったほうが通りがいい、左大臣・源融によって821年(弘仁12年)に建てられてるんで、やっぱ、風俗店には人気があるんですかね? 

源融の勧請で建てられはしたけれども、活躍したのは鎌倉時代直前の源平合戦の頃のことで、源義経が平氏を追って西国に向かうとき、風波の平穏を祈ったのが、この神社だった、ということらしいです。

その後、後醍醐天皇の勅願所となり、広大な土地を与えられて大社となり、それこそ、東京の芝神明宮、金沢神明宮、京都の松原神明宮などとともに、日本の七神明宮のひとつに数えられるほどで、室町の終わりの南北朝時代には戦災で半焼し衰退したものの、やっぱ、由緒正しいということで、大坂城代や東西町奉行が交代するときには必ず参拝した記録もあります。

曽根崎村、北野村、老松にわたっていたので、「北野の神明」「曽根崎の神明」「天満の神明」とさまざまに呼ばれていたものの、前述した室町末期の戦災、1834年(享保5年)の火災で、焼失し、そっからは衰退の一途を辿ったみたいです。

で、1907年(明治40年)には、お初天神に合祀され、現在も、お初天神の境外社として登録されとりますな。

ただ、現在の社には、でっかい碑が祀られていて、この碑の迫力から、往時の凄さを窺い知ることはできます。






天満の大神宮(夕日の神明)
大阪市北区曽根崎1-6


2009/11/27

ヒルトンホテルのロビーに巨大ジオラマ鉄道模型が出現して、なかなかシュールな光景になってます

ヒルトンホテルの1Fロビーで、クリスマス・イベントとして、巨大ジオラマをこしらえて鉄道模型を走らせるという企画があると聞いて、なぜに国際的なホテルのロビーで、しかもクリスマスのイベントに鉄道模型のジオラマ?と、ちょっとビックリしたのでした。

鉄ちゃんや鉄子さんが大挙して押しかけたら、せっかくのクリスマスムードが台無し…、になるなんてことは、ヒルトン側は考えなかったんでしょうか?(笑)

と、頭ん中にクエスチョンマークをいっぱい飛び交わせながら、いそいそと行ってみたのでした。梅田のあのあたりは、チャリを走らせるのには、横断歩道が少なくて、なかなかめんどくさいルートをとらねばならんのですが、ま、それはよろし。

行ってみたら、な、な、なんと、ロビーの中央に、でーんと、でっかいジオラマがあるじゃないですか(笑) 悪いが、こんなところにジオラマがあるって、なかなかシュールです。
でもこれ、聞いてみたら、全国のヒルトンでずーっとやっていて、大阪は今回がお初だけれども、全国のヒルトンではすでに定着しているイベントらしいのですよ。今年でもう9年目になるんだとか。ほんまかいな!

結構ね、デカいです。10m×6mくらいのサイズ。
車両は、ドイツ・レーマン社製のGゲージ。でっかいです。鉄道模型に詳しいわけじゃないですが、素人目で見ても、見るからに、日本のサイズじゃないです。
ジオラマはそれなりに凝っていて、ヨーロッパの山間部がモデルのようなのですが、トンネルが上下2段になって山をぶち抜いていて、さすがにそれはないやろー!と、そこはほれ、ジオラマ独特の世界が展開されてました。

なかなかの力作だし、ここがホテルのロビーだということを忘れて、しばし見入っていたのですが、残念なのは、車両のボディやら立てられた看板に、やたらめったらと広告がつけられていることですわ。
協賛金の一部がどっかの慈善団体に寄付されるらしいのですが、いくらなんでも広告が多すぎです。もう、いたるところに、これでもかというくらいの広告。

これさえなけりゃ、一幅の風景として見とれることもできるのですが、この膨大な広告はいただけません。
立て看板をべつに用意して、ジオラマの横にでも、協賛企業の名前を一覧で表示すればいいと思うんですけどね。。。。

年末年始、ずーっとやってるみたいなので、お正月に梅田にでも繰り出したときにでも、話のネタにどーぞ。
ちなみに、鉄ちゃん鉄子さんは、見かけませんでした。ジャンルが違うのかな?

あ、ジオラマ全体の写真を撮るのを忘れてた(笑)








ヒルトン大阪 「ヒルトン・クリスマス・トレイン」
(2009.11.22~2010.1.10)
大阪市北区梅田1-8-8
tel. 06-6347-7111(代表)
HP http://hiltonjapan.ehotel-reserve.com/hilton-osaka/

2009/11/26

茶屋町遺跡発掘調査結果発表! 茶屋町は2,000年前にはすでに陸地で貝塚が見つかりました。

北区の茶屋町が再開発されるにあたり、まあ、茶屋町にかぎらず再開発等で地面を掘り返す際には必ずやることですが、発掘調査が行われたのでした。NUの西側にある、塀で囲っていた空き地のあるあたりです(マクドの向かいの塀で囲まれた場所です)。
調査自体は、2008年12月15日~2009年1月7日。

で、この調査に先立ち、大阪市の教育委員会によって、小さな試掘調査が敷地内で行なわれたのですが、現在の地表から約70cm下で、今から約800年前(平安時代から鎌倉時代)の地層と土器が発見されたのでした。

大阪も古くから都の置かれていたところだけれども、飛鳥時代前後の難波宮や四天王寺が造営された時代はともかくとして、それ以降は、室町末期に石山本願寺が大坂城のある場所に建築されるまでは、歴史的にはあまりよく記載のない、暗黒の時代でもあります。

なので、平安時代から鎌倉時代にかけての考古学的な資料が出てくることは、そうした暗黒に光を射す、なかなかに貴重な出来事でもあります。

この試掘をきっかけに本格的な調査が行われ、今回、教育委員会から報告がなされたのでした。
ブログにアップしていいか?と尋ねたところ、写真が使えないんですよね。。。pdfでいただいた資料に埋め込まれてある小さな画像は使用許可をもらったものの、まともなサイズの画像ファイルを要求したら、著作権がどーの、と。その著作権も、教育委員会が採掘と資料作成を委託した先の外部の団体が保有しているらしく、権利関係をクリアするのが困難なんですと。
なので、僕のブログ云々はともかくとして、市民の財産である写真の著作権をどっかの団体に握られてるって、どーゆーこと? 採掘調査自体、税金で行なわれているものなのに…。

閑話休題。
本題に行きます。

発掘の結果、
江戸時代から明治・大正時代の生活跡が発見されました。井戸、建物の礎石・柱穴、ゴミ穴、大きな溝など、100点余が見つかったそうです。
江戸時代でもっとも古い証拠品は、18世紀後半の複数のゴミ穴で、今回の調査で見るかぎり、茶屋町の形成は、今から250年前にはじまったみたいです。
その後、19世紀、幕末、明治~昭和と連綿と続いていることは、折々の茶碗や生活用具の発見から辿ることができるそうです。なかでも、幕末の時代のものの資料が多数発見され、街の発展が加速したのがこの時代だということを記していると見ることもできますね。

調査区の北半分に6基の井戸と多数のゴミ穴がまとまり、調査区中央の東西方向の耕作溝を隔てて、南側にはあまり生活跡が見られないことから、当時の街は西を走る中国街道近くに中心があり、今回の調査区は街の端で、南側は耕作地として利用されていただろうことがわかりましたな。これ、平安から鎌倉時代にかけての様子です。

その後、おそらく、明治・大正時代と推定されるのだけれども、東側に南北方向の小さなドブ川が掘られています。梅田方面から伸びているみたいなのだけれども、今回の調査の範囲外だったために、これに関しては想像の域を出ないみたいです。

さらに掘り下げていくと、古墳時代から鎌倉時代にかけての地層が出てきます。
そこから、約800年まえの瓦器(がき)と呼ばれる当時の茶碗が出てきて、この瓦器の出土が今回の調査のきっかけとなった、と。

そこからずっと遡っていくと、約1,550年まえの、5世紀中頃の須恵器が発見され、この時期こそが、茶屋町の地が陸化して人々が本格的に活動をはじめる最初の時期になると推測できるみたいです。
今回の調査では建物跡が見つからなかったのでムラの実態はわからんのですが、文献によると、鎌倉時代にはこの地は耕作地として利用されているのは間違いないので、古墳時代から鎌倉時代までのどこかで、近隣に集落が存在したことは、きっと、間違いないんでしょうな。

さて、現在の茶屋町が陸地になったのはいつごろなのか。
このことを明らかにするために、調査の最終段階で2m×4mの範囲を深さ3mまでの深掘を行なったところ、黒い砂の地層を発見しました。
その地層からは、多量のハマグリ、シオフキなどの貝類が見つかり、当時の干潟があることがわかりました。同時に出土した葉の化石を用いて科学的な年代測定を行なったところ、1世紀、今から2,000年前のものだということがわかって、そのころには茶屋町はすでに陸地だったことが、今回の調査でわかりました。

その砂浜の上に厚く堆積した粗い砂の層の観察結果と併せると、1世紀に干潟があったこの地には、淀川の度重なる氾濫によって土砂が運ばれ、そのときにできた自然堤防(現在の中国街道)の周辺に5世紀中頃になって本格的に人が活動を開始した、と、景観の変遷を復元することができます。


調査風景です。茶屋町のマクドの向かいの塀のなかです。



18世紀後半のゴミ穴を発掘。



北半分に6基の井戸と多数のゴミ穴がまとまり、調査区中央の東西方向に耕作溝、南側は耕作地として利用されていたようです。



800年まえの瓦器、1,500年まえの須恵器が出土。



3m掘り進んで、分厚い砂の層を抜け、約2,000年まえの層が出てきました。



約2,000年まえの貝塚から発見された貝類。






茶屋町の発掘調査
大阪市北区茶屋町8

2009/11/25

天満天神繁昌亭に初めて行く

えーっと、天満繁昌亭に行ってきました。といっても、もう3ヶ月くらい前の話ですが…。記事にするのを、ほったらかしにしてました(笑)

ちなみに、繁昌亭に行ったのは、これが初めてですねん。どういうわけか、縁がなくてね。むかしは落語に凝ってたんですが、今は、とんとご無沙汰だっちゅーのもあります。

2006年に開席ですから、もう4年目になるんですねえ。

繁昌亭の歴史といってもwikipediaに書いてある以上のことは知らんですが、緞帳がいいですね。
アサヒビールの寄贈で、天神祭の船渡御の模様が描かれています。
あと、題字が、橘右佐喜さんの筆によるもの。ざこばと鶴瓶がやってた「らくごのご」でお題を即席で書いてはった人ですね。この人、僕、大好きです。

中に入ると、天井には、繁昌亭設立のために寄付した人の名前が記された提灯が、ずらずらっと吊るされています。

天満も、かつては寄席があり芝居小屋があり、娯楽の一大地やったんですが、今は、娯楽施設といえば、ストリップ小屋くらいなもんです。

なので、この地に寄席が復活するというのは、文化継承のためにも、とーっても意義があることやと思いますな。

もはや、テレビに出ない芸は存在してないも同然みたいなことになってますが、ほんまの芸能はテレビの枠には収まり切らんものやし(放送できんもんもたくさんありますからな)、テレビではその魅力を伝えきれんもんもたくさんあるわけで、テレビ以外のチャネルを持っておくことは、文化継承の観点からも、大切なことやと思います。

北野武が、自分が監督する映画で、そういう、テレビに出ない演芸場で繰り広げられている芸能を、ちょいちょい登場させているのも、そういう観点があるからでしょう。

幇間(たいこもち)とか、小人プロレスとか、まずテレビにでは出てこないし、芸能は、お客さんを前にしないと鍛えられんですからね。

さて、繁昌亭も、開席当時のバブルというか、珍しもん見たさのブームも去って、NHKの「ちりとてちん」ブームもいち段落して、チケットがとれない!という状態でもなくなってきたようです。
これからが正念場ですね。
いい舞台にしかお客さんは来ない、という、王道に立ち返って、磨かれた芸が繰り広げられるという、本来的な意味での開席の精神が、これから発揮されるんでしょうな。

また機会があれば行きたいですな。




題字は橘右佐喜(うさぎ)さん。






上方落語協会会長の桂三枝の挨拶文があります。




アサヒビールが寄贈した緞帳。天神祭の船渡御がモチーフになってます。誰の筆ですかね?




天井には、設立のために寄付した人の名を記した提灯が吊るされてます。








天満天神繁昌亭
大阪市北区天神橋2-1-34
tel. 06-6352-4874

2009/11/24

長柄西の「グリル佐野惣」のコロッケは、国産和牛の牛スジ入りの肉屋さんの絶品コロッケ

大阪市の北区の北端である長柄西は、歴史的には由緒あるエリアではあるのですが、なかなかさびれていて、すぐ西には天神橋筋の8丁目商店街があるものの、どちらも賑わっているというかんじではないので、まあ、よほどの用事がないかぎりは行かないエリアでもあります。悪しからず。特に、城北公園通りよりも北側のエリアは、しもた屋も多く、閑散としてます。目のまえ、淀川の堤防やしね。

そんななかにあって、長柄西の交差点から少し北にあがったところに、ここだけ!ってかんじで、お昼間、ヘタすれば行列ができてるような、入口に車がズラッと並んでいるような光景に出くわすときが、あります。

「グリル佐野惣」。



下町の洋食屋さん、という形容がそのまんまあてはまるようなお店ですわ。それもおしゃれじゃないほうの(笑)

海老フライやらハンバーグやらトンカツやらの、一般的なメニューが並びます。付け合わせに、サラダ・スパゲティがつくような、ありふれたやつです。

ただし、ここ、お向かいで肉屋さんを営まれていて、肉の材料はそっからなので、使ってる材料いい&まともにつくってるんで、美味いんですわ。ほいで安いですから(安いだけの内装ではあるんですが…。笑)、地元民の行列ができるのは、あたりまえです。

ランチのことはまたべつの機会に譲るとして、今回はテイクアウトのコロッケを。

大阪市の北区のコロッケといえば、天神橋2丁目の「中村屋のコロッケ」が有名で、ちょいちょいメディアにも取り上げられます。最近でも、映画の宣伝で、ここら一帯にレッドカーペットが敷かれて、阿部サダヲと竹内結子が中村屋のハムカツを食べてましたが、まあ、有名店です。


で、中村屋のコロッケが東の横綱やとしたら、こちらの佐野惣のコロッケは、西の横綱。
そう呼びたくなるほど、これまた美味いコロッケです。

中村屋のコロッケがジャガイモの甘みを最大限に引き出したかのようなコロッケであるのに対して、佐野惣のコロッケは、肉屋さんのコロッケらしく、牛スジが入っていて、肉の旨味がします。

肉屋さんのコロッケは美味いと相場が決まってますが、ここでは、卸で買ってきた和牛を肉屋で出す際、肉を掃除したときに出る牛スジが、コロッケに入ってます。
淡路産のタマネギと長時間煮込んだ牛スジをミンチにしたうえに、原形を留めている牛スジをさらに投入してつくってあるコロッケなので、なかなかの存在感で、ひとつ食べても、結構、腹にどっしりときます。

聞けば、
つくり置き、冷凍、なし。
タマネギ、ジャガイモは季節によって甘さが違うので、味付けは季節によって微妙に変える。
と。
なかなかの職人芸ですわ。

つくってるところ撮影させて~、とお願いしたら、顔は写りたない!って、女将さんがコロッケごとどっか行ってしまったので、油だけの間抜けな図になりましたが…(笑)




牛スジの甘さとコロッケのタネの味付けの微妙なバランス、食べてると、半固形化した牛スジの感触が口のなかにあって、味と食感の両面で堪能できる、なかなか優れもんのコロッケです。





親子2代で買い続けてる人、5個10個はあたりまえに買っていく人。
コロッケなんやし、安くて美味い!は、基本ですな。
1個70円。
中村屋のコロッケとおんなじ値段。









グリル佐野惣
大阪市北区長柄西2-5-8
tel. 06-6351-1650
ランチ / 11:00-17:30
テイクアウト / 10:30-18:00
日休み

2009/11/23

中之島ダイビルに行ってみた☆


こないだ、まもなく解体がはじまる中之島のダイビルの名残を惜しみにいったついでに、今年3月にオープンしたものの僕的には未体験だった中之島ダイビルを見にいったのでした。右が中之島ダイビル。

このビルはですね、中之島3丁目の共同開発の第1期工事として、関電ビルディングが竣工し、関西電力の本社が旧関電ビルディングから関電ビルディングに移転したあと、解体された旧関電ビルディングの跡地に建設されたのでした。

ちなみに、中之島3丁目の共同開発は、
第1期(2004) 関西電力中之島変電所を移設した跡地に関電ビルディングを建設し、関西電力の本店が旧関電ビルディングから移転。
第2期(2009) 旧関電ビルディング跡地に中之島ダイビルを建設。現在のダイビルのテナントがここに移転。
第3期(2012) ダイビル跡地に中之島ダイビル・ウエストを建設予定。
となっとります。

京阪の中之島線開通も、この開発にいっちょ噛みしてますな。

さて、今年3月に竣工なった中之島ダイビルは、地上35階、地下2階、高さ160mの、超近代的ビル。ダイビルといえばレトロなビルの代名詞だったので、ここまで近代的だとちょっと違和感があるのですが、といって、オープン時からレトロだったビルなどいっこもなく、最先端の意匠で造られたビルが長い時を経るうちにレトロ化していくのだから、この中之島ダイビルも50年後には、レトロ建築の代名詞になってるかも、です。

ただ、エントランス部を見ると、やっぱり、瀟洒な彫刻を施した円柱などがあり、ダイビルらしさはしっかりと残っております。こういう、合理一辺倒じゃない遊び心があるのが、ダイビルの素敵なところですね。というか、ここ、ダイビルの面影をそっくりそのまま移植してますね。





そしてツインタワーのようにして隣接している中之島三井ビルディングと、よくマッチしてます。
中之島の新しいランドマークですな。
これで2012年にさらに中之島ダイビル・ウエストが並ぶんだから、どんな風景になるんでしょうか?




中之島ダイビルのサイトもありました。

http://www.nakanoshimadaibiru.com/

サイトで知りましたが、京阪中之島線「渡辺橋」駅、地下鉄四つ橋線「肥後橋」駅とは、地下で直結してるんですな。


エントランスホールは、こんなかんじです。





そして最上階の窓からは、素晴らしい眺望が!





向かいの中之島三井ビルディングが迫ってます!





その中之島三井ビルディングとのあいだには、こんなふうに緑が植えられています。







中之島ダイビル
大阪市北区中之島3-5

2009/11/21

空中庭園で世界最大級のクリスマスツリーが出現

冬の空中庭園といえば、巨大なクリスマスツリーが有名ですが、今年もついにはじまりました。11/20~12/26まで。

サイト、あります。

http://www.skybldg.co.jp/event/xmarkt/2009

で、今年はプレス向けの案内があったので、初めて、ツリー点灯の瞬間を見るべく、夕方の5時に行ったのでした。

そしたら、だ。セレモニーみたいなのがあって、主催者のドイツ連邦共和国総領事館の人間やら大阪市の役人やらが次々と壇上にあがって、挨拶をはじめてですな、寒空のなか、点灯まで30分も待たされましたですがな! あんなもん、要りません!

まあ、いいです。
ここのクリスマスツリーは、高さ27m。10万個のイルミネーションですから、ど迫力ですわ。しかも空中庭園とコラボしてますから、滅多にお目にかかれない絵が見られます。
これ、サンタクロースが、クリスマスのために空から星を落とした、ってコンセプトです。

ほいで、今年で2回目らしいのですが、ツリーの周りで、ドイツのクリスマスマーケットを再現してます☆
ドイツでは、この時期になると、街の広場の周りに屋台を円形に並べて、その中心にクリスマスツリーを飾って、クリスマスを祝います。そこではクリスマスのオーナメントが売られていたり、焼きソーセージやグリューワインでワイワイやったりと、そういう場所ですね。
ドイツでもまさに今の時期、つまりクリスマスの1ヶ月前くらいから、この、クリスマスマーケットが出現します。これからの1ヶ月、もういくつ寝ると!ってかんじて、クリスマスを待ちわびるわけです。クリスマスでもなんでもそうだけれども、この、待つ時間が楽しいのですね。

それでは、以下、写真。























ん? ドイツのクリスマスって、サンタクローズじゃなくてニコライさんだったはずだけど、サンタが空から星を落としてつくったツリーってコンセプトはいいのか?(笑)




新梅田シティ 空中庭園
ドイツ・クリスマス・マーケット
大阪市北区大淀中1-1-88