2012/04/15

イースタンユースのアルバム「旅路ニ季節ガ燃エ落チル」のジャケットには、佐伯祐三の「立てる自画像」が使われている


イースタンユースのアルバム「旅路ニ季節ガ燃エ落チル」のジャケットには、佐伯祐三の「立てる自画像」が使用されていて、それまで佐伯祐三のことをそれほど知らなかった僕は、その絵を見て、震えを覚えたのでした。

暗くどんよりとした空と裏ぶれた小道に立つ佐伯祐三は、顔がくすめるように塗りつぶされ、暗く、晦渋で、それでいて奔馬のごとき荒ぶる感情を有しているかのような、さまざまな相反する感情がそのまま織り込まれている、まさに青春としかいいようのない匂いを、その絵は放っていたのでした。

本当は愛し、愛されたいのにもかかわらず、そのまえにあらゆるところにノン!を突きつけなければ一歩も前に進めない…、そんな、ロックンロールが本質的に持っている二律背反の感情は、イースタンユースのアルバムにもしっかりと貫かれていて、楽曲とアートワークが拮抗した素晴らしいアルバムだと、今でも思っています。

ロックンロールの本質は、単なる反抗ではなく、この、「本当は愛し、愛されたいのにもかかわらず、そのまえにあらゆるところにノン!を突きつけなければ一歩も前に進めない…」という、ややこしい心の持ちようだと、僕は思っています。
イースタンユースはまさにそういう音を鳴らしているバンドで、彼らがアルバムのアートワークに佐伯祐三の「立てる自画像」を採用したのは、きっと、共鳴したからなんでしょうな。

1898年(明治31年)、光徳寺の13代目住職の家に、4男3女の次男として生まれる。
絵の才能に恵まれ、画塾に通うようになり、東京美術学校西洋画予備科に入学。
25歳で、フランスに渡ります。
この頃は、まだ印象派の画家を模倣している段階で、まだ佐伯独自のスタイルはなく、むしろルノワールやセザンヌを模倣してるかんじ。
ただ、フランス滞在中に、有名なエピソードである、フォーヴィズムの画家ヴラマンクとの出会いがありますな。
佐伯祐三の作品を見たヴラマンクは、「アカデミック!」という怒声を皮切りに、1時間半、佐伯祐三に罵声を浴び続けた、というエピソード。
マニュアルに染まり切った佐伯祐三の絵が、ヴラマンクには許せんかった、ということです。

ひどく自尊心を傷つけられた佐伯祐三は、今までの作品をすべてご破算にし、自分だけのスタイルを模索するため新たなスタートを切ろうとします。その頃に描いたのが、「立てる自画像」。
顔が塗りつぶされているのは、きっと、今までの自分を消し去って新たな自分を探そう!という、彼なりの決意表明やと思うんですね。

この後、佐伯祐三の絵は、ブルーとセピアを基調とした、暗い、晦渋な、奔放なスタイルになっていきます。
グランジ的で、キタノ・ブルー的な印象。この頃の作品は、僕、どれも好きですね。



その佐伯祐三が大阪生まれということは知っていたんですが、中津に生まれていたとは知りませんでした。
中津の富島神社の隣の光徳寺に生まれたそうで、それならば、と思い立って、チャリを飛ばしたのでした。

行ってみたら、正門のところには、「宗教法人光徳寺」「社会福祉法人光徳寺善隣館中津学園」の札がかかっていて、その下に「佐伯」の表札があり、そのおかげで、ここが佐伯家なのだということがわかりました。




お寺さんが幼稚園や学校を経営するのはよくある話ですが、佐伯祐三の生家としてアピールしている様子は皆無で、これはもう、知らんかったら全然気がつきません。

お寺さん自体は本願寺の末寺として1580年(天正2年)開山の由緒あるお寺やそうです。
佐伯祐三が育った時代は1万坪の寺域を誇ったとのことですが、第2次大戦の戦災で焼失、戦後、現在の地に中津学園が新設されて、現在に至ってます。

なかに入れてもらうと、石碑がありました。




ずいぶんとひっそりとしていて、華美装飾を排したこの扱いは、なんとなく、ロケンローラー・佐伯祐三に相応しいような気もするのでした。
こんとき、iPodには、久しぶりにイースタンユースを入れて、ずーっと聴いていたのでした。








佐伯祐三生誕の地
光徳寺
大阪市北区中津2-5-4